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☆『札響3ちゃんねる"クラヲタへの道"』は”季刊ゴーシュ”で連載中です。☆

その11 演奏家国家資格制度施行

2008秋 季刊ゴーシュ第15号(2008.9.1発行)掲載

世の中に資格マニアという人たちがいるが、昨年思い立って小型船舶免許を取得したのがきっかけで、私も資格を取る面白さに開眼してしまった。
船舶免許は2級と1級を取ったので国家試験を2度受けた。
受験勉強の苦しみと合格したときの達成感はまさに”蘇る青春”であった・・・・(遠い目)。

せっかく蘇った青春を終わらせまじと今取り組んでいるのは宅地建物取引主任者の資格である。
若干周囲に呆れられながら民法や宅建業法をリハーサルの合間などに一生懸命に勉強しているわけだが、普段音楽の仕事で使う脳とは全く違う部分の脳を使っている気がする。
これがなかなか悪くない。右脳と左脳とをバランス良く鍛えることは、敢えて例えるなら腹筋と背筋を両方鍛えないと麗しいウエストをキープできないのと同じ理屈で素晴らしい思いつきなのでは?、と一人悦に逝っているのだ。(w

ところで、演奏家には国家資格というものが無い。ドイツなど一部の国にはあるが日本にはない。
ということは、「私はチェロ奏者です」と名乗れば(食っていけるかは別として)その日から誰でもチェロ奏者になれるということだ。
日本における演奏家の地位がイマイチ向上しないのはその辺に理由があるのでは?、と資格マニアの私は考えるわけである。

なので、早々に「演奏業法(仮称)」を施行させるべきである。そして仮に演奏家国家資格を有していない者が演奏業を行った場合、10年以下の懲役若しくは50万円以下の罰金に処すべきである。
ちなみに、演奏業法が施行された場合の1級大提琴(チェロ)演奏士の国家試験にはこういう問題が出る。

【問1】大提琴演奏士Aは甲交響楽団における演奏業において、甲交響楽団と首席指揮士契約を締結した指揮士Bが演奏中に出した指示に遅滞なく応じたつもりが、指揮棒を錯誤して飛び出してしまった。この場合、演奏業法の規定により大提琴演奏士Aの取る行動として正しいものは次ぎのうちどれか。
(1)走って帰ってヤケ酒をあおる。
(2)「こりゃ~大ジョッキかな」とか言いながら笑ってごまかす。
(3)隣の人をにらんでその人のせいにする。
(4)周りの奴らが遅かったんだ!と言い張る。

少し簡単過ぎたかもしれないが、正解は次回のクラヲタで!

その10 演奏家の騒音問題(切実)。

(2008夏 季刊ゴーシュ第14号掲載)

 7年ぶりに新しいパソコンを買った。 Celeron1.3Gから Core2Duへの買い替えだったので、4世代くらいのCPUを一気に進化した感がある。あまりの速さに「ヌオーーーッ!」と一人驚きと喜びの奇声を上げて大満足。 しかし悩みが一つ。PCケースのファンの音がうるさい・・。 PCの中に掃除機が入っているのではないかと思ったほどだ。 翌日ショップに相談に行ったが「ある程度は仕方ない」と店員は困惑気味。

 実はこの手のノイズ問題は多くの職業演奏家にとって切実な悩みなのだ。物干し竿の宣伝カー、スーパーで流れる連呼調の歌、スキー場の音割れした歌謡曲、家電量販店の特売放送など・・・、気になって何も考えられなくなる。 意外なところでは喫茶店や事務所などで流れているクラシック音楽。 相談や商談の場面でも耳が楽音を拾ってしまい全く話しに集中できないのだ。 許される場所では「申し訳ありませんが・・・」と言って音楽をとめてもらう。

 そんなわけで、”神経質”と言われてもある程度仕方ない状態ではあるが、以前住んでいたマンションで困り果てたことがあった。上階に越してきたおじさんがジャズを聴くのが趣味で、仕事から戻ると毎晩ステレオを聴く。 休日などは朝から夜までジャズが流れる。私のパソコン部屋にジャズのベース音が上からズンズンと響き渡ってくる。 仕事が手につかない。赤ん坊だった子供は昼寝できない。
最初は自分の”神経質”を疑ったがある日たまりかねて(丁重に)苦情を言いに行ったら、「アンタのとこの楽器の音だって聞えるんだぞ!」と逆ギレされてしまった。 防音室の中で弾いていたのに・・と思ったが、どうやら私のチェロのレッスンが「教室としての使用禁止」という規約に違反しているじゃないか、とステレオおじさんは怒りを溜めていたらしい。

 人間関係が悪化すると相手の出す僅かな音でも許せない気持ちになってくる。 そのうちステレオおやじとは廊下で出会っても挨拶もしないようになってしまった。 それからしばらくしてステレオおやじは住民が呼んだ警察官に騒音を注意されたそうだが、ステレオはその後も鳴りやまなかった。

 マンションの騒音問題はやっかいだ。 あのブーニンがマンションの住人に騒音で訴えられ退居したのは有名な話しだ。 しかし演奏家とて都会でマンションに住むのはある程度仕方がないことだ。 パソコンの方は風量が大きく音も静かなファンを見つけて付け替え無事に解決した。 しかし家はそうそう簡単には替えられない。演奏家の住宅問題は当分解決しそうにない。

その9 シンエンな弦楽四重奏の世界

(2008春 季刊ゴーシュ第13号掲載)


 私は札響の楽員 4人で ノンノン・マリア弦楽四重奏団というカルテットを組んでいる。名前の由来についてよく訊かれるのだが、そのたびに困ってしまう。世界的に有名な弦楽四重奏団は作曲家の名前や拠点都市の名を冠する場合が多い。スメタナ弦楽四重奏団、東京クヮルテットなどがそうだ。しかしながら我がノンノン・マリア弦楽四重奏団が世界的に有名なわけはなく、モットモらしく語るほどの由来がないのは当然といえる。 か い つ まんで由来の核心部分を意訳すると「カワイイから」程度のことである。例えば”筋肉少女隊”とか、”爆風スランプ” などに 名前の由来を訊ねる人は少ないと思うのだが、クラシック界にはなぜか厳格に由来を正す風土がある。

 さて、弦楽四重奏団には名前の付いた常設の団体と、演奏会ごとに編成される非常設団体がある。非常設団体の場合は演奏の依頼が来るごとに手近の仲間と即席で組めばよいので気楽だが、名前の付いた常設四重奏団を組むには実は相当の勇気が必要だ。 弦楽四重奏には二人三脚ならぬ四人五脚(あってる?)のごときもどかしさがある。『友達を失いたくなければカルテットを組むな』という有名な言葉があるくらい、人間関係を良好に保ちながら弦楽四重奏を続けていくのは至難の業である。 あ えて置き換えるならば『恋人を失いたくなければ結婚するな』と言うことができよう(ホントか)。

 なので、 普通はいろ いろな 人とプロトタイプを何体も作ってから結婚・・・、じゃなくて結成 する。例えばアマデウス弦楽四重奏団のように40年間もメンバー不動の幸せな団体もあるが、上手くいかずにメンバーが何度も入れ代わる団体も多い。私などは弦楽四重奏団の演奏会を聴きに行っても演奏に滲み出るメンバーの人間関係ばかり気になって音楽に集中できない くらいだ (笑)。
 
 古今の大作曲家は交響曲と同じ比重でこのジャンルを手掛けている。オーケストラに勝るとも劣らない深遠な弦楽四重奏の世界だが聴き手が少ないのが悩みだ。世界有数の団体が来札してもキタラの小ホールを満席にできないのが実情である。弦楽四重奏を知らずして人生を終わるのは実にもったいない。まずは、シューベルトの「死と乙女」やドヴォルザークの「アメリカ」あたりから聴くべし。そして究極はシュトックハウゼンの「ヘリコプター弦楽四重奏曲」あたりか。興味ある人はググってちょ。いつか演奏してみたい・・(ウソ)。

その8 ネットとクラシック音楽の相反する関係

(2007冬 季刊ゴーシュ第12号掲載)


 私が運営しているホームページがもうすぐ10周年を迎える。1998年1月1日開設なので Yahoo ! Japan と1年も違わないで開始したことになる。開設当時は世間でやっとインターネットが一般化しはじめたものの、回線は遅く大きな画像を表示するのにややしばらく待たされたり、 テレホーダイが始 ま る 夜の11時にいきなり回線が 混んで 不通になったりした。今のように誰もが1日中高速回線で繋ぎっぱなしなど想像もできなかった。

 当時はまだ自分 の ホームページを作っているなどと言うと周囲から未来人の様に扱われた。オーケストラの裏話しを綴った私のページも随分と重宝がってもらいテレビや新聞で紹介されたこともあった。ブロガー人口が1000万人などという今からは想像できないことである。

 この10年のコンピューター社会の進化はめざましいものがあったが、クラシック音楽業界には進化とは逆の面白い現象が起きている。 「原典主義」である。何百年ものあいだ再版を重ね徐々に作曲当時の姿から変わってしまったベートーヴェンたちの作品を、もう一度きっちり調べなおして原典に忠実な楽譜で演奏しよう、という主義である。敢えて例えるならば 「 GIFアニメや Flash などでゴテゴテと装飾されたホームページをスッキリさせ、もう一度文章そのもので勝負しようと言う主義 」 と言い換えることができる(かなり強引だが)。

 しかしながら、ベーレンライター社の原典に忠実な楽譜の出版などが進むにつれ、この主義は一部でどんどんエスカレートしていき、最近「ピリオド奏法」なる言葉が現われた。この言葉を定義付けるのは難しいのだが、古楽器オーケストラなどで行われているヴィブラートをかけない奏法を現代のオーケストラにやらせてみよう、ということである。これには正直言って閉口している。弦楽器とその奏法はヴィブラートを前提に進化してきたのだ。現代の楽器で現代の奏者に無理にヴィブラートを止めて演奏させても、 演奏上の表現や音色など に致命的な制約が生れるだけで奏者のモチベーションも下がる。

 あえて例えるなら 「 パソコンを10年前の486マシンあたりに戻して、回線も14.4kbpsの超遅いやつに 戻して 、 ホームページ作成ソフトも使わずエディタにHTML 言語直書 きでクールなブログを作りなさい 」 と言っているようなものである。ハッキリ言って”意味がない”。

 学術的な価値は認めるから、お願いだから「ピリオド奏法」リアルでは流行らせないで!。

その7 「野獣死すべし」が好きだ!

(2007秋 季刊ゴーシュ第11号掲載)


 1980年、中学3年生だった私を文字どおり釘づけにした映画が封切られた。「野獣死すべし」である。今思うと 80 年とは時代の転換点であった。YMOが一世を風靡し、機動戦士ガンダムが放送された。汗だくのパフォーマンスよりも無機質でクールなものがカッコよいとされたのはこの時からだ。“ネクラ”という当時の流行語はサブカル言語の走りであった。 80 年とはそんな時代であった。
 
 この映画の主役、松田優作演じる伊達邦彦もクールな男である。「野獣」の脚本家丸山昇一はパンフレットにこう書いている。「あるパーティーの席上、松田優作は私を呼んでこう言った。『丸山、伊達邦彦をつかまえたよ。ちょっと見てくれ』」。やがて丸山昇一の前に死人の様にひっそり歩く伊達邦彦が初めて出現したそうだ(松田優作のこの役への入れ込みは凄まじく、伊達邦彦を演じるために奥歯を抜いて頬を痩けさせたという話は有名だ)。伊達は通信社に勤める内向的でネクラなインテリだが、やがて 大胆かつ 計画的な銀行強盗と大量殺人を犯す。 私は 今までのハードボイルドのイメージとは全く違うこの映画に大きなショックを受けた。本当は絶対にやってはいけないのだが、映画館に録音機を持ち込んでセリフを全部覚えてしまった(当時はビデオも無いのでこういう手段しかなかったのだ)。

 そして何といってもこの映画を格調高く強烈に個性付けたのがクラシック音楽であった。恋人の華田令子(小林麻美)との出会いは日比谷公会堂での東京交響楽団の演奏会であり、演目はショパンのピアノ協奏曲第 1 楽章。再会は銀座ヤマハでBGMに同曲の第2楽章。伊達が警官から奪った拳銃を愛撫し恍惚とするシーンではショスタコーヴィチの「革命」が大音量で流れる。トランペットとヴィブラホンによるハードボイルドチックなテーマ曲 とこれら クラシック音楽の存在が、どのシーンでも効果的に使われ、映画に哲学的とも言える趣を与えている。伊達は両親を失った少年期から通信社で戦地を廻る現在まで多くの外傷体験によって厭世的な人格を持つにいたり、唯一深遠なクラシック音楽に浸る時だけ安らぎを覚える。…という設定なのだ。

 この映画はまだ始まったばかりの 80 年代という時代を強く意識して作られており、大薮春彦の同名の原作とは全く異なる内容になっている。原作が発表された昭和 33 年(1958年)とは全く時代が違うという理由からだ。この翌年から私はチェロを習いだした。「野獣」と出会わなかったら今の私はなかったと思う。
「野獣死すべし」が好きだ!! うおおおお!!

その6 【海外】 予習は大切★★

(2007夏 季刊ゴーシュ第10号掲載)


 先月、旅行でウィーンとプラハに行ってきた。“欧米のオーケストラは~”などと訳知り顔で 語ったり しているが、実は両都市とも初の訪問 だった 。特にウィーンはクラシック音楽の神聖にして侵すべからざる聖地であり、そろそろ一度は訪問しておかなければマズいだろ、と思っていた。
 

 今回の旅行は航空券の購入やホテルの予約などを全てネットで行い、ネットの便利さを改めて痛感した。せっかくの旅行、まず下調べが大切である。今回はウィーンとプラハの有名ホールをくまなく巡礼し、中でも世界中のクラヲタが 絶対領域 と仰ぐウィーン楽友協会ホールへの 進入 は絶対に欠かすことができない ミッションだ 。旅程に合せて各ホールの演目をネットで調べ、チケットの予約をしていく。ネットはとても便利である。 (^^)
 

 とは言っても敵はドイツ語圏である。道に迷って演奏会に遅れ る状況はあまりに寒い 。そこで、グーグルの衛星画像を使い、ガイドブック片手に現地での道筋を何度も衛星画像を辿って練習した。地下鉄の駅やバス停の位置まで覚えてもう迷うことはない。ネットは非常に便利である。 (^O^)
札響にはドイツ語圏に留学経験を持つ人が何十人もいる。彼らはウィーンについて語りだしたら止まらない。お薦めのカフェやレストランを教えてもらい衛星地図に書き込んでいった。これでどこで腹が減っても大丈夫である。

 肝心のコンサートであるが、プラハでの3公演は名曲揃いだったが、ウィーン国立歌劇場はヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」。楽友協会はウィーン交響楽団でシュミットのオラトリオ「七つの封印の書」であった。どちらも地味で難しいと評判の曲である。 旅の疲れも手伝って演奏中に爆睡・・・、だけは避けたい(藁。そうならないためには とにかくCDとDVDで予習である。ここでもネットはワンダフルに便利であった。どんなマイナーな曲のCDでも数日後には ゲトー できる。出発前に歌詞をほとんど覚え、旋律を口ずさめるまで聴き込んだ。
 

 もはや行く必要がないのではないか?と思うほどの入念な下調べの甲斐があって、現地では迷うどころか旅行者に道案内までこなし毎晩の演奏会を心ゆくまで楽しんだ。 \(^o^)/
しかし、今こうしてウィーンやプラハの街並みや感動した演奏会を思い返そうとすると、衛星画像やDVDの映像が真っ先に浮かんでしまい、 実際に見た 情景をなかなか思い出せない…(゚ロ゚;グハッ。いやはや、ネットとは呆れるほど便利なものであった。

その5 めざせ! オーケストラ業界人

(2007春 季刊ゴーシュ第9号掲載)

 キタラの舞台裏には男性用の楽屋が下手側(客席から見て左)に2つ、上手側に2つ、合わせて4つある。誰がどの楽屋を使うかは指定されていないが、皆自分が行く楽屋を決めている。いや、それどころか楽屋の中のどの位置で着替えるかもだいたい決まっている。“定位置”というやつ だ 。
 
 私 が いつも着替えて 楽屋 の住人はだいたい15人ほどである。先月住人のひとりであるコントラバスの最若手R君が「オレ、今日からここの場所使っていいっすか?」と宣言した。そこは12月までヴァイオリンのIさんが使っていた場所で、そのIさんが定年退職を迎えたのだった。R君は 楽屋の入り口に近いほうから、 鏡付き、椅子付きのIさんの定位置を虎視眈々と狙っていた、というわけである。
 
 定位置は楽屋の中だけではない。舞台袖の自分の楽器を置く場所もだいたい決まっている。札響はそれほどではないが、定位置が厳格に決まっているオーケストラも珍しくない。だからフリー奏者で首都圏のオケなんかにエキストラ出演していた頃は場所取りには細心の注意を払った。危険人物の定位置にうっかり衣裳や楽器を広げたら一大事である。初めて行くオケは、朝早くホールに着いてもすぐには荷物を広げず様子を見るのが安全である。練習場所から戻ってみたら自分の楽器ケースと衣裳バックが通路に投げ出されていた、という笑えない話も聞く(ウソかホントかは知らないが)。
 
 オケ業界にはもうひとつ面白い癖がある。既にご存じの方も多いだろう。“音楽業界用語”というやつである。1万円をC(ツェー)マン と言ったりする。音階のドイツ語読みを数字に当てているのだ。 2,500円だったらD千G百である。
 
 あと、挨拶では「おはようございます」以外は使わない。昼でも夜でも職場での挨拶は「おはようございます」である。
ドラマ「のだめカンタービレ」でベートーヴェンの交響曲第7番を“ベト7”と呼んでいるのに気が付いた方も多いと思う。このように曲名を省略するのも実際に行われている。ドヴォルザークのチェロ協奏曲は“ドボコン”。ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」は“青ダニ”という。ダニはもちろん、ドナウの別名ダニューブである。
 
 午後、まだ眠そうな顔でホールに現われ「おはよございま~」と同僚たちに挨拶し、衣裳と楽器ケースを定位置に置いて、「今日って青ダニからだっけ?」と何気なく隣の奏者に話しかけられるようになるまでは…、そう、最低でも10年はかかりますな。