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☆『札響3ちゃんねる"クラヲタへの道"』は”季刊ゴーシュ”で連載中です。☆

その3 高関健さん特集

(2006秋 季刊ゴーシュ第7号掲載)
中学から「原典」意識  ベルリンで筋金入りに

これまでのお話  荒木師匠と弟子ゴーシュは、正しいクラシックヲタクの道を究めるべく、業界の見上げたヲタク分析を開始。まずは札響正指揮者の高関健さんにメールを送ったが、原稿用紙12ページもの返事が来て、文字通りヲタヲタすることに…。

 弟子  師匠、今回は待ちに待った特集ですね。   師匠  そうじゃが、高関氏の口調がちと固い。ひとつ、方言変換プログラムで遊んでしまおう。
   そんなことをして大丈夫なんですか?!
   まあ、細かいことは後で考えるとしよう。
 
 Q.高関さんと言えば原典主義と思いますが、原典を意識したのはいつからですか。
  高関   おい どん が楽譜の違いで演奏が変わるのを認識した ん は中学生の初め頃で ごわした 。NHKFMの番組がきっかけでブルックナーの第4番や第8番あたりのハース版、ノーヴァク版を聴き比べしておいもした。 ベーレンライター版やらヘンレ版が出てきた頃で ごわす 。
 
   なるほど~。中学生の頃すでに…。ところでこの鹿児島弁は正しいんですか?
 師  気にするな。続きは北海道弁じゃ。
 高関 おんなじ頃、マーラーのスコアを本郷のアカデミアに買いに行ったんだわ。一番安いやつをレジへ持っていったっけ、先代のオヤジさんが「こったら版は古くさい。こっちの版の方があずましいからばくったらいいんでないかい?」といって全集版のスコアを薦めてくれたんだぁ。このオヤジさんは、新交響楽団でヴィオラを弾いていた人で、その後も楽譜の選び方については時々教えてくれたっけな。
 
  実は高関氏はヴィオラの腕前もかなりのものじゃ。札響に混じって急きょヴィオラを弾いたこともあったぞ。
   アカデミアは輸入楽譜では国内最大のお店ですよね。こんな出会いがあったんですね。
  高関   さて本題に戻るっちゃ…。うちが学生時代、日本のプロオケの現場では楽譜上の問題が起きると、「それじゃ弾きやすいように変えるっちゃ」という解決法が多かったけど、その後留学したベルリンでは「オリジナルに戻すっちゃ」という解決が圧倒的に多かったっちゃ。そんなことから当然「オリジナルはどれぐらい正しいのか?」という疑問が湧いてきて、どんどん深みにハマっていったっちゃ。ベルリンの国立図書館にはかなりの数の自筆原稿のファクシミリなどが公開されてて、夏休みなどひまな時に通って、手持ちのスコアと比較しまくったっちゃ。
 
    なんだか 、ラムちゃんみたいじゃな…。
   ラムちゃんって誰ですか?
   いや、何でもない。最近は日本でもオリジナル重視になってきておるな。続いては高関氏のカラヤン・アシスタント時代の話じゃ。
  高関  ほんでな、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラ」をカラヤンが練習しとった時のことや、最初のトランペット に続くパパーンいう和音 は16分音符で書いてあるんやけど、カラヤンが「そこは32分音符で 弾いてんか !」と叫ぶんや。しはると当然オケからは「せやけどオリジナルは16分音符でっせ?」と確認が来るワケや。ほんでカラヤンが「そこ32分音符でたのむわ。シュトラウスのオッサンがそう演奏しとったんや」とはっきり言いはる。ほんで自作自演のレコードを聴いてみると、ほんまに32分音符で演奏しとるがな!   せなわけで、楽譜は様々な状況を認識した上で演奏せなあかん、ちう事を実地で教わることができたワケや。
 
   『クラヲタは一日にして成らず』こうした蓄積が日本一のクラヲタを作ったんじゃ。
   本当に感動的なエピソード の 数々・・。
   こらこら、これで涙を拭かんか。
   私もすっかり高関さんのファンになってしまいました。こうなると欲が出て高関さんのプライベートについても知りたくなります。
   うむ、それも聞いてきたわい。だが音楽の話ほどパンチはない。覚悟して読むのじゃ。
 
  Q.指揮者になっていなかったらどの様な職業を選択していたと思いますか?
  高関 どう考えても、他には何もできな い人間です。あえて言えば古本屋でしょうか。オーケストラのライブラリアンもいいですが、不器用で字がきたないので、おそらく不採用でしょう。
  Q.少年時代は鉄ちゃんだったそうですが、他に趣味はありますか?
  高関 スコアやレコードの収集と、自転車に乗ることです。札幌にも1台用意して、北広島のサイクリングロードもよく走ります。
 
   たしかに意外性という点では…、でも誠実な人柄がにじみ出ているじゃないですか。
   うむ、確かに誠実な人とワシも思うぞ。以前ヲタクと呼ばれることをどう思うか訊いたんじゃが、「自分でヲタクだとは思っていないが、自分の指揮は全体を感覚的に捉えるのではなく、曲を細かく調べて組み立てなおす方法なので、そう見えるのかも」と語っておられた。
  弟 なるほど、そうした根気のいる作業、誠実じゃなくては出来ないというわけですね。
   そういう事じゃ。

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