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☆『札響3ちゃんねる"クラヲタへの道"』は”季刊ゴーシュ”で連載中です。☆

その9 シンエンな弦楽四重奏の世界

(2008春 季刊ゴーシュ第13号掲載)


 私は札響の楽員 4人で ノンノン・マリア弦楽四重奏団というカルテットを組んでいる。名前の由来についてよく訊かれるのだが、そのたびに困ってしまう。世界的に有名な弦楽四重奏団は作曲家の名前や拠点都市の名を冠する場合が多い。スメタナ弦楽四重奏団、東京クヮルテットなどがそうだ。しかしながら我がノンノン・マリア弦楽四重奏団が世界的に有名なわけはなく、モットモらしく語るほどの由来がないのは当然といえる。 か い つ まんで由来の核心部分を意訳すると「カワイイから」程度のことである。例えば”筋肉少女隊”とか、”爆風スランプ” などに 名前の由来を訊ねる人は少ないと思うのだが、クラシック界にはなぜか厳格に由来を正す風土がある。

 さて、弦楽四重奏団には名前の付いた常設の団体と、演奏会ごとに編成される非常設団体がある。非常設団体の場合は演奏の依頼が来るごとに手近の仲間と即席で組めばよいので気楽だが、名前の付いた常設四重奏団を組むには実は相当の勇気が必要だ。 弦楽四重奏には二人三脚ならぬ四人五脚(あってる?)のごときもどかしさがある。『友達を失いたくなければカルテットを組むな』という有名な言葉があるくらい、人間関係を良好に保ちながら弦楽四重奏を続けていくのは至難の業である。 あ えて置き換えるならば『恋人を失いたくなければ結婚するな』と言うことができよう(ホントか)。

 なので、 普通はいろ いろな 人とプロトタイプを何体も作ってから結婚・・・、じゃなくて結成 する。例えばアマデウス弦楽四重奏団のように40年間もメンバー不動の幸せな団体もあるが、上手くいかずにメンバーが何度も入れ代わる団体も多い。私などは弦楽四重奏団の演奏会を聴きに行っても演奏に滲み出るメンバーの人間関係ばかり気になって音楽に集中できない くらいだ (笑)。
 
 古今の大作曲家は交響曲と同じ比重でこのジャンルを手掛けている。オーケストラに勝るとも劣らない深遠な弦楽四重奏の世界だが聴き手が少ないのが悩みだ。世界有数の団体が来札してもキタラの小ホールを満席にできないのが実情である。弦楽四重奏を知らずして人生を終わるのは実にもったいない。まずは、シューベルトの「死と乙女」やドヴォルザークの「アメリカ」あたりから聴くべし。そして究極はシュトックハウゼンの「ヘリコプター弦楽四重奏曲」あたりか。興味ある人はググってちょ。いつか演奏してみたい・・(ウソ)。

その8 ネットとクラシック音楽の相反する関係

(2007冬 季刊ゴーシュ第12号掲載)


 私が運営しているホームページがもうすぐ10周年を迎える。1998年1月1日開設なので Yahoo ! Japan と1年も違わないで開始したことになる。開設当時は世間でやっとインターネットが一般化しはじめたものの、回線は遅く大きな画像を表示するのにややしばらく待たされたり、 テレホーダイが始 ま る 夜の11時にいきなり回線が 混んで 不通になったりした。今のように誰もが1日中高速回線で繋ぎっぱなしなど想像もできなかった。

 当時はまだ自分 の ホームページを作っているなどと言うと周囲から未来人の様に扱われた。オーケストラの裏話しを綴った私のページも随分と重宝がってもらいテレビや新聞で紹介されたこともあった。ブロガー人口が1000万人などという今からは想像できないことである。

 この10年のコンピューター社会の進化はめざましいものがあったが、クラシック音楽業界には進化とは逆の面白い現象が起きている。 「原典主義」である。何百年ものあいだ再版を重ね徐々に作曲当時の姿から変わってしまったベートーヴェンたちの作品を、もう一度きっちり調べなおして原典に忠実な楽譜で演奏しよう、という主義である。敢えて例えるならば 「 GIFアニメや Flash などでゴテゴテと装飾されたホームページをスッキリさせ、もう一度文章そのもので勝負しようと言う主義 」 と言い換えることができる(かなり強引だが)。

 しかしながら、ベーレンライター社の原典に忠実な楽譜の出版などが進むにつれ、この主義は一部でどんどんエスカレートしていき、最近「ピリオド奏法」なる言葉が現われた。この言葉を定義付けるのは難しいのだが、古楽器オーケストラなどで行われているヴィブラートをかけない奏法を現代のオーケストラにやらせてみよう、ということである。これには正直言って閉口している。弦楽器とその奏法はヴィブラートを前提に進化してきたのだ。現代の楽器で現代の奏者に無理にヴィブラートを止めて演奏させても、 演奏上の表現や音色など に致命的な制約が生れるだけで奏者のモチベーションも下がる。

 あえて例えるなら 「 パソコンを10年前の486マシンあたりに戻して、回線も14.4kbpsの超遅いやつに 戻して 、 ホームページ作成ソフトも使わずエディタにHTML 言語直書 きでクールなブログを作りなさい 」 と言っているようなものである。ハッキリ言って”意味がない”。

 学術的な価値は認めるから、お願いだから「ピリオド奏法」リアルでは流行らせないで!。

その7 「野獣死すべし」が好きだ!

(2007秋 季刊ゴーシュ第11号掲載)


 1980年、中学3年生だった私を文字どおり釘づけにした映画が封切られた。「野獣死すべし」である。今思うと 80 年とは時代の転換点であった。YMOが一世を風靡し、機動戦士ガンダムが放送された。汗だくのパフォーマンスよりも無機質でクールなものがカッコよいとされたのはこの時からだ。“ネクラ”という当時の流行語はサブカル言語の走りであった。 80 年とはそんな時代であった。
 
 この映画の主役、松田優作演じる伊達邦彦もクールな男である。「野獣」の脚本家丸山昇一はパンフレットにこう書いている。「あるパーティーの席上、松田優作は私を呼んでこう言った。『丸山、伊達邦彦をつかまえたよ。ちょっと見てくれ』」。やがて丸山昇一の前に死人の様にひっそり歩く伊達邦彦が初めて出現したそうだ(松田優作のこの役への入れ込みは凄まじく、伊達邦彦を演じるために奥歯を抜いて頬を痩けさせたという話は有名だ)。伊達は通信社に勤める内向的でネクラなインテリだが、やがて 大胆かつ 計画的な銀行強盗と大量殺人を犯す。 私は 今までのハードボイルドのイメージとは全く違うこの映画に大きなショックを受けた。本当は絶対にやってはいけないのだが、映画館に録音機を持ち込んでセリフを全部覚えてしまった(当時はビデオも無いのでこういう手段しかなかったのだ)。

 そして何といってもこの映画を格調高く強烈に個性付けたのがクラシック音楽であった。恋人の華田令子(小林麻美)との出会いは日比谷公会堂での東京交響楽団の演奏会であり、演目はショパンのピアノ協奏曲第 1 楽章。再会は銀座ヤマハでBGMに同曲の第2楽章。伊達が警官から奪った拳銃を愛撫し恍惚とするシーンではショスタコーヴィチの「革命」が大音量で流れる。トランペットとヴィブラホンによるハードボイルドチックなテーマ曲 とこれら クラシック音楽の存在が、どのシーンでも効果的に使われ、映画に哲学的とも言える趣を与えている。伊達は両親を失った少年期から通信社で戦地を廻る現在まで多くの外傷体験によって厭世的な人格を持つにいたり、唯一深遠なクラシック音楽に浸る時だけ安らぎを覚える。…という設定なのだ。

 この映画はまだ始まったばかりの 80 年代という時代を強く意識して作られており、大薮春彦の同名の原作とは全く異なる内容になっている。原作が発表された昭和 33 年(1958年)とは全く時代が違うという理由からだ。この翌年から私はチェロを習いだした。「野獣」と出会わなかったら今の私はなかったと思う。
「野獣死すべし」が好きだ!! うおおおお!!

その6 【海外】 予習は大切★★

(2007夏 季刊ゴーシュ第10号掲載)


 先月、旅行でウィーンとプラハに行ってきた。“欧米のオーケストラは~”などと訳知り顔で 語ったり しているが、実は両都市とも初の訪問 だった 。特にウィーンはクラシック音楽の神聖にして侵すべからざる聖地であり、そろそろ一度は訪問しておかなければマズいだろ、と思っていた。
 

 今回の旅行は航空券の購入やホテルの予約などを全てネットで行い、ネットの便利さを改めて痛感した。せっかくの旅行、まず下調べが大切である。今回はウィーンとプラハの有名ホールをくまなく巡礼し、中でも世界中のクラヲタが 絶対領域 と仰ぐウィーン楽友協会ホールへの 進入 は絶対に欠かすことができない ミッションだ 。旅程に合せて各ホールの演目をネットで調べ、チケットの予約をしていく。ネットはとても便利である。 (^^)
 

 とは言っても敵はドイツ語圏である。道に迷って演奏会に遅れ る状況はあまりに寒い 。そこで、グーグルの衛星画像を使い、ガイドブック片手に現地での道筋を何度も衛星画像を辿って練習した。地下鉄の駅やバス停の位置まで覚えてもう迷うことはない。ネットは非常に便利である。 (^O^)
札響にはドイツ語圏に留学経験を持つ人が何十人もいる。彼らはウィーンについて語りだしたら止まらない。お薦めのカフェやレストランを教えてもらい衛星地図に書き込んでいった。これでどこで腹が減っても大丈夫である。

 肝心のコンサートであるが、プラハでの3公演は名曲揃いだったが、ウィーン国立歌劇場はヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」。楽友協会はウィーン交響楽団でシュミットのオラトリオ「七つの封印の書」であった。どちらも地味で難しいと評判の曲である。 旅の疲れも手伝って演奏中に爆睡・・・、だけは避けたい(藁。そうならないためには とにかくCDとDVDで予習である。ここでもネットはワンダフルに便利であった。どんなマイナーな曲のCDでも数日後には ゲトー できる。出発前に歌詞をほとんど覚え、旋律を口ずさめるまで聴き込んだ。
 

 もはや行く必要がないのではないか?と思うほどの入念な下調べの甲斐があって、現地では迷うどころか旅行者に道案内までこなし毎晩の演奏会を心ゆくまで楽しんだ。 \(^o^)/
しかし、今こうしてウィーンやプラハの街並みや感動した演奏会を思い返そうとすると、衛星画像やDVDの映像が真っ先に浮かんでしまい、 実際に見た 情景をなかなか思い出せない…(゚ロ゚;グハッ。いやはや、ネットとは呆れるほど便利なものであった。

その5 めざせ! オーケストラ業界人

(2007春 季刊ゴーシュ第9号掲載)

 キタラの舞台裏には男性用の楽屋が下手側(客席から見て左)に2つ、上手側に2つ、合わせて4つある。誰がどの楽屋を使うかは指定されていないが、皆自分が行く楽屋を決めている。いや、それどころか楽屋の中のどの位置で着替えるかもだいたい決まっている。“定位置”というやつ だ 。
 
 私 が いつも着替えて 楽屋 の住人はだいたい15人ほどである。先月住人のひとりであるコントラバスの最若手R君が「オレ、今日からここの場所使っていいっすか?」と宣言した。そこは12月までヴァイオリンのIさんが使っていた場所で、そのIさんが定年退職を迎えたのだった。R君は 楽屋の入り口に近いほうから、 鏡付き、椅子付きのIさんの定位置を虎視眈々と狙っていた、というわけである。
 
 定位置は楽屋の中だけではない。舞台袖の自分の楽器を置く場所もだいたい決まっている。札響はそれほどではないが、定位置が厳格に決まっているオーケストラも珍しくない。だからフリー奏者で首都圏のオケなんかにエキストラ出演していた頃は場所取りには細心の注意を払った。危険人物の定位置にうっかり衣裳や楽器を広げたら一大事である。初めて行くオケは、朝早くホールに着いてもすぐには荷物を広げず様子を見るのが安全である。練習場所から戻ってみたら自分の楽器ケースと衣裳バックが通路に投げ出されていた、という笑えない話も聞く(ウソかホントかは知らないが)。
 
 オケ業界にはもうひとつ面白い癖がある。既にご存じの方も多いだろう。“音楽業界用語”というやつである。1万円をC(ツェー)マン と言ったりする。音階のドイツ語読みを数字に当てているのだ。 2,500円だったらD千G百である。
 
 あと、挨拶では「おはようございます」以外は使わない。昼でも夜でも職場での挨拶は「おはようございます」である。
ドラマ「のだめカンタービレ」でベートーヴェンの交響曲第7番を“ベト7”と呼んでいるのに気が付いた方も多いと思う。このように曲名を省略するのも実際に行われている。ドヴォルザークのチェロ協奏曲は“ドボコン”。ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」は“青ダニ”という。ダニはもちろん、ドナウの別名ダニューブである。
 
 午後、まだ眠そうな顔でホールに現われ「おはよございま~」と同僚たちに挨拶し、衣裳と楽器ケースを定位置に置いて、「今日って青ダニからだっけ?」と何気なく隣の奏者に話しかけられるようになるまでは…、そう、最低でも10年はかかりますな。

その4 「のだめカンタービレ」

(2006冬 季刊ゴーシュ第8号掲載)


 「のだめカンタービレ」TVドラマ版が始まった。コミックの頃から大ブームの予兆はあったが、音大とオーケストラが舞台のトレンディードラマ(死語?)がここまで人気を博すとは。これを機に絶滅種と言われて久しいクラシック音楽が一気に注目されればいいと思う。モーツァルト・イヤーも期待が大き過ぎたせいか今ひとつ盛り上がりに欠けた感があった。今回こそ J -ポップを駆逐する勢いで巻き返しを図りたいものだ。
 
 ある楽器店には”のだめ”コーナーが出現し、コミックやグッズと一緒に、千秋が指揮したという得体の知れないCDまで売られていた。多少のあさましさはオッケーである。いやむしろ頼もしい。なにしろ種の保存を賭けた闘いなのだから。

 さて、わたしたちクラヲタとしては、のだめと千秋の恋の行方に気を取られて漫然とドラマを眺めているだけではつまらない。ドラマ挿入のクラシック曲を解析し、細部に至るまで入念にチェックしよう。

 札響の楽員達と初めてコミックを読んだ時、音楽関係のディテールの正確さに皆で唸らされた。今回のTVドラマ化で、そこがどう表現されているのか気になるところである。
 
 まずドラマ冒頭にかかったドヴォルザークの「チェコ組曲」。超どマイナーなこの曲を最初に持ってきた制作者のクラヲタに対する挑戦的、挑発的態度はかなりのものである。思わず身構えてしまった。その後は「くるみ割り人形」や「ラプソディー・イン・ブルー」のような、いわゆる名曲が続きほっとしたが、なかなかの選曲センスである。認めよう。

 そしてシュトレーゼマンを演じる竹中直人の指揮真似はさすがであった。実際のオーケストラ、たとえば札響でやったとしても曲の冒頭など、かなりいい音が出ちゃったりして・・・。 本当に呼んでみたらどうだろう。

 まあ話題は尽きないが、私の、このワ・タ・シの運営する大人気サイトにもブームを煽るべく”のだめ”コーナーを作ってみた。大々好評なので是非見に来ていただきたい。え?自サイトの宣伝はあさましい?。だから今回はオッケーなのである。

その3 高関健さん特集

(2006秋 季刊ゴーシュ第7号掲載)
中学から「原典」意識  ベルリンで筋金入りに

これまでのお話  荒木師匠と弟子ゴーシュは、正しいクラシックヲタクの道を究めるべく、業界の見上げたヲタク分析を開始。まずは札響正指揮者の高関健さんにメールを送ったが、原稿用紙12ページもの返事が来て、文字通りヲタヲタすることに…。

 弟子  師匠、今回は待ちに待った特集ですね。   師匠  そうじゃが、高関氏の口調がちと固い。ひとつ、方言変換プログラムで遊んでしまおう。
   そんなことをして大丈夫なんですか?!
   まあ、細かいことは後で考えるとしよう。
 
 Q.高関さんと言えば原典主義と思いますが、原典を意識したのはいつからですか。
  高関   おい どん が楽譜の違いで演奏が変わるのを認識した ん は中学生の初め頃で ごわした 。NHKFMの番組がきっかけでブルックナーの第4番や第8番あたりのハース版、ノーヴァク版を聴き比べしておいもした。 ベーレンライター版やらヘンレ版が出てきた頃で ごわす 。
 
   なるほど~。中学生の頃すでに…。ところでこの鹿児島弁は正しいんですか?
 師  気にするな。続きは北海道弁じゃ。
 高関 おんなじ頃、マーラーのスコアを本郷のアカデミアに買いに行ったんだわ。一番安いやつをレジへ持っていったっけ、先代のオヤジさんが「こったら版は古くさい。こっちの版の方があずましいからばくったらいいんでないかい?」といって全集版のスコアを薦めてくれたんだぁ。このオヤジさんは、新交響楽団でヴィオラを弾いていた人で、その後も楽譜の選び方については時々教えてくれたっけな。
 
  実は高関氏はヴィオラの腕前もかなりのものじゃ。札響に混じって急きょヴィオラを弾いたこともあったぞ。
   アカデミアは輸入楽譜では国内最大のお店ですよね。こんな出会いがあったんですね。
  高関   さて本題に戻るっちゃ…。うちが学生時代、日本のプロオケの現場では楽譜上の問題が起きると、「それじゃ弾きやすいように変えるっちゃ」という解決法が多かったけど、その後留学したベルリンでは「オリジナルに戻すっちゃ」という解決が圧倒的に多かったっちゃ。そんなことから当然「オリジナルはどれぐらい正しいのか?」という疑問が湧いてきて、どんどん深みにハマっていったっちゃ。ベルリンの国立図書館にはかなりの数の自筆原稿のファクシミリなどが公開されてて、夏休みなどひまな時に通って、手持ちのスコアと比較しまくったっちゃ。
 
    なんだか 、ラムちゃんみたいじゃな…。
   ラムちゃんって誰ですか?
   いや、何でもない。最近は日本でもオリジナル重視になってきておるな。続いては高関氏のカラヤン・アシスタント時代の話じゃ。
  高関  ほんでな、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラ」をカラヤンが練習しとった時のことや、最初のトランペット に続くパパーンいう和音 は16分音符で書いてあるんやけど、カラヤンが「そこは32分音符で 弾いてんか !」と叫ぶんや。しはると当然オケからは「せやけどオリジナルは16分音符でっせ?」と確認が来るワケや。ほんでカラヤンが「そこ32分音符でたのむわ。シュトラウスのオッサンがそう演奏しとったんや」とはっきり言いはる。ほんで自作自演のレコードを聴いてみると、ほんまに32分音符で演奏しとるがな!   せなわけで、楽譜は様々な状況を認識した上で演奏せなあかん、ちう事を実地で教わることができたワケや。
 
   『クラヲタは一日にして成らず』こうした蓄積が日本一のクラヲタを作ったんじゃ。
   本当に感動的なエピソード の 数々・・。
   こらこら、これで涙を拭かんか。
   私もすっかり高関さんのファンになってしまいました。こうなると欲が出て高関さんのプライベートについても知りたくなります。
   うむ、それも聞いてきたわい。だが音楽の話ほどパンチはない。覚悟して読むのじゃ。
 
  Q.指揮者になっていなかったらどの様な職業を選択していたと思いますか?
  高関 どう考えても、他には何もできな い人間です。あえて言えば古本屋でしょうか。オーケストラのライブラリアンもいいですが、不器用で字がきたないので、おそらく不採用でしょう。
  Q.少年時代は鉄ちゃんだったそうですが、他に趣味はありますか?
  高関 スコアやレコードの収集と、自転車に乗ることです。札幌にも1台用意して、北広島のサイクリングロードもよく走ります。
 
   たしかに意外性という点では…、でも誠実な人柄がにじみ出ているじゃないですか。
   うむ、確かに誠実な人とワシも思うぞ。以前ヲタクと呼ばれることをどう思うか訊いたんじゃが、「自分でヲタクだとは思っていないが、自分の指揮は全体を感覚的に捉えるのではなく、曲を細かく調べて組み立てなおす方法なので、そう見えるのかも」と語っておられた。
  弟 なるほど、そうした根気のいる作業、誠実じゃなくては出来ないというわけですね。
   そういう事じゃ。

その2 高関健さん特集【予告】

(2006夏 季刊ゴーシュ第6号掲載)
話題つきず 究極の楽譜研究 札響正指揮者 高関健氏

ゴーシュ :今回は師匠が”日本一のクラヲタ”と認定する札響正指揮者の高関さんのお話しとあって楽しみにしてまいりました。さぞクラヲタ垂涎のエピソード満載なのでは?
師匠 :うむ。そうなのじゃが、取材したらなんと原稿用紙 12 枚分のメールが来たわい。満載しすぎじゃ。全部は書ききれんからいずれ特集でもくん もらうことにしよう 。
ゴ :さ、さすがは日本一のクラヲタ様(汗)。
師 :高関氏といえばオケの対向配置や、原典主義で有名じゃな。メールにはカラヤンのアシスタント時代に原典主義に傾倒していった様子が克明に綴られておった。実に興味深い話しであったが詳しくは特集で・・・。
ゴ : 3 月の札響定期の折りには、シューマンの交響曲の手稿譜をベルリンの図書館で調べつくしたと語っておられましたね。
師 :そうじゃったな。楽譜には少年時代から興味があったようじゃ。神保町の楽譜屋の店主と高関少年のやりとりも面白かったがこれも詳しくは特集で・・。
ゴ :なるほど・・。クラヲタとしての年季が違うのですね。
師 :メールには他にも出版前のマーラーの2番交響曲の楽譜を借り受け演奏会をした話しなどあった。カプランが校訂する楽譜の相異点を 1 4 0 ヶ所も発見したそうじゃ。
ゴ :カプラン氏といえばマーラーの2番 しか 指揮しないという有名な指揮者。
師 :究極のヲタク同士気が合うようじゃ。カプラン氏とはその後メル友になったそうじゃが、詳しくは特集で・・。
ゴ :そういえば、高関さんと言えば”鉄ちゃん”としても有名ですね。
師 :そうじゃな。わしはてっきり切手収集とか今どきラジオ製作とかヲタクっぽい趣味があるのではと期待したが、この辺も詳しくは特集で。
:「詳しくは特集で」ばっかりじゃないッス か!
師 :・・・うむ。

その1 第1回

(2006春 季刊ゴーシュ第5号掲載)
第1回

師匠 やっとワシの出番が来たな! 待ちくたびれたぞ。
ゴーシュ お待たせしました。この企画は、相当ぶっ飛んだものにしたいのですが。
 タイトルはもう6ヶ月前から考えておる。「札響3ちゃんねる クラヲタへの道」だ!。
 さ、さんちゃんねるですか…。
 そう。多彩な「クラヲタ」、つまり「クラシックおたく」をゲストに招いたりだな・・・。
 師匠、ゴーシュは「ヲタク向けの雑誌」じゃないつもりですが…(^_^;)。
 心配するな。何もベーレンライターがどうのと語るのではない。いわばクラシック音楽のサブカルチャー論をじゃな・・・。
 やっぱり「おたく向け」じゃん( ̄□ ̄;
 まあ聞くのじゃ。ある研究機関が行った調査では、クラシック音楽会の客層は年間5回以上行くというコアな層が全体の9割じゃ。この9割を味方に付けぬ手はないぞ。
 うーん、今ひとつ不安が残るな・・・。
 おぬしも食い下がるな。この業界は見上げたクラヲタが溢れておるぞ。そうした人たちも紹介しながら、読者をクラヲタに仕立ててしまおうという洗脳企画でもあるのじゃ。ゴーシュとしても読者が増えてよろしかろう( ̄ー ̄;)ニヤリッ。
 なるほど! よく分かりました!( ̄ー ̄;)ニヤリッ。で、具体的にはこれからどのようなクラヲタが?
 ふふ。まず思い浮かぶのは業界随一のクラヲタ、札響正指揮者の高関健氏だな。
 鉄ちゃん(鉄道ヲタク)でもあるとか。
 うむ、期待しておれ。