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☆『札響3ちゃんねる"クラヲタへの道"』は”季刊ゴーシュ”で連載中です。☆

その8 ネットとクラシック音楽の相反する関係

(2007冬 季刊ゴーシュ第12号掲載)


 私が運営しているホームページがもうすぐ10周年を迎える。1998年1月1日開設なので Yahoo ! Japan と1年も違わないで開始したことになる。開設当時は世間でやっとインターネットが一般化しはじめたものの、回線は遅く大きな画像を表示するのにややしばらく待たされたり、 テレホーダイが始 ま る 夜の11時にいきなり回線が 混んで 不通になったりした。今のように誰もが1日中高速回線で繋ぎっぱなしなど想像もできなかった。

 当時はまだ自分 の ホームページを作っているなどと言うと周囲から未来人の様に扱われた。オーケストラの裏話しを綴った私のページも随分と重宝がってもらいテレビや新聞で紹介されたこともあった。ブロガー人口が1000万人などという今からは想像できないことである。

 この10年のコンピューター社会の進化はめざましいものがあったが、クラシック音楽業界には進化とは逆の面白い現象が起きている。 「原典主義」である。何百年ものあいだ再版を重ね徐々に作曲当時の姿から変わってしまったベートーヴェンたちの作品を、もう一度きっちり調べなおして原典に忠実な楽譜で演奏しよう、という主義である。敢えて例えるならば 「 GIFアニメや Flash などでゴテゴテと装飾されたホームページをスッキリさせ、もう一度文章そのもので勝負しようと言う主義 」 と言い換えることができる(かなり強引だが)。

 しかしながら、ベーレンライター社の原典に忠実な楽譜の出版などが進むにつれ、この主義は一部でどんどんエスカレートしていき、最近「ピリオド奏法」なる言葉が現われた。この言葉を定義付けるのは難しいのだが、古楽器オーケストラなどで行われているヴィブラートをかけない奏法を現代のオーケストラにやらせてみよう、ということである。これには正直言って閉口している。弦楽器とその奏法はヴィブラートを前提に進化してきたのだ。現代の楽器で現代の奏者に無理にヴィブラートを止めて演奏させても、 演奏上の表現や音色など に致命的な制約が生れるだけで奏者のモチベーションも下がる。

 あえて例えるなら 「 パソコンを10年前の486マシンあたりに戻して、回線も14.4kbpsの超遅いやつに 戻して 、 ホームページ作成ソフトも使わずエディタにHTML 言語直書 きでクールなブログを作りなさい 」 と言っているようなものである。ハッキリ言って”意味がない”。

 学術的な価値は認めるから、お願いだから「ピリオド奏法」リアルでは流行らせないで!。

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